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抗争勃発 ブランドーコングロマリットの仁義なき戦い

そもそもの発端は、97年末から98年6月にかけてプラダグループが、グッチの株式を9・5%取得したことに始まったんです。グッチは95年10月からニューヨークとアムステルダムの証券取引所で株式上場しています。そして早い時期からグッチ買収に現実味を示していたLVMHがプラダ同様、5・38%の株式を取得した後で、プラダの保有していたグッチ株を裏で購入していたことが発覚。15%近くの株式がLVMHの手に渡ったことで、グッチ買収というシナリオが現実味を帯びたスクープとして業界関係者を騒がせたわけです。「グッチがLVMHに買収されれば、それはイタリアファッション業界の終焉を意味する」という見方もあり、しばらくは両グループの動向から目が離せない状況になってしまいました。99年1月中旬、LVMHは業界の予想を裏切るレベルの26・7%で、ついにグッチの筆頭株主となりました。法律的にいえばこの段階でLVMHはグッチの運営決定について原則的には拒否権を行使できるという事態を迎えたわけです。さらに1月下旬には保有率34・4%まで拡大します。これに対抗しようとグッチ側か取った手段はウルトラCともいえる「ESOP」(社貝持ち株制度)を導入した作戦でした。グッチが登記するオランダの法律に準じて、同社発行株式の38・5%にあたる資産価値のない3700万株を新規発行するという荒業に出たのです。LVMH側は、この手段への不服申立書をグッチに送りつけて法的手段に訴える形で反逆しました。そもそもは協力休制確立による相乗効果を狙ったというLVMHの思惑が、泥沼の事態へとはまってしまったわけです。先手を打つグッチは、フランソワ・ピノー率いるフランス流迦業界大手のPPR(ピノー・プランタンールドゥート)と手を結んで“対LVMH同盟”を強化しました。まずPPRにグッチの筆頭株主になってもらってLVMHの動きを封じること。