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デューイ・スクールの運命

ダーウィンの『種の起源』が刊行された1859年に、デューイはこの世に生を受け、彼自身大学時代に、その進化論の思想から大きな刺激を受け、哲学的関心が芽生えたという。バーモント大学を大学開校以来の抜群の成績で卒業後、高校教師、小学校教師を数年間していたが、以前から関心を抱き続けていた哲学の道に入ることにした。彼は、教育についての一般的な理論が哲学であるという考えを持っていたため、哲学と教育を結びつけた研究ができるシカゴ大学に喜んで召喚されて行ったのである。そこで、物理学に実験室が必要なように、教育学にもさまざまな実験を試みる実験室がなければならないとの考えのもと、子どもの個性に応え、さまざまな教育論を実践する場としての実験学校を創立した。しかし、シカゴ大学の総長は、この学校に込めるデューイの趣旨を理解せず、対立に至り、ついには1904年、デューイは大学を辞職という形で去った。それに伴い、このデューイ・スクールは、数々の興味深い問題を抱えたまま閉校に追い込まれてしまったのである。政治的なごたごたが原因で、学校自体は無くなってしまったが、教育において子どもの人間性を尊重するというデューイの考え方は、後世に大きな影響力を与え、社会に浸透し、現在でもなお生き残っているのである。
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